こんにちは!KUUです🐦
皆さん、父親の存在ってどうでしたか?
正直言って、私は父親が嫌い でした・・・。
特に、思春期の時期はひどかったです。
父親が傍を通るだけで嫌だったり、姿を見るだけでもイライラしたり。
口うるさく指示してきたり、私のすること為す事、すべて否定する父親の存在が疎ましいとさえ思ったことがありました。
なので、父を見ると、私の存在を悟られないよう、息を潜めていたことも(苦笑)
そんな私も社会人になってから、親の有難みが分かって、父が嫌いではなくなりました。
今となっては、私を心配してのことだったんだろうなと思えますけどね。
多くの父親は、普段は遅くまで働いて、平日はほとんど顔を合わせる事もない家庭も多いですしね。
そういうのもあって、あまり顔を合わせない父親の存在って、子供にとってはうるさい存在なのかもしれません。
そして、大人になった今でも、母親との接点はあるものの、なかなか父親との接点があまりなくてどんな会話したらいいのか分からないという友人も・・。
なかなか溝が埋まらない場合もあるのかもしれませんね。
そこで、今回もSNSやインターネット上で私が直接募集して、父親が嫌いな理由と克服方法を聞いてまとめてみることにしました!
みなさんから色んなエピソード・克服方法を聞くことができ、参考になることがたくさんありましたよ!
父親が嫌いだった理由と克服方法
今回、お話をして頂けたのは、父親が嫌いだった9人の方です。
そのお話とは、
- 家庭を崩壊させた父 H奈 30代
- 大人になって気づいたこと T子 40代
- ベタベタされるのが嫌で M嘉 20代
- できるだけ接触しないように E子 20代
- 興味がないのだと思っていたのに S絵 30代
- 怒ると手がつけられなくなる父 N子 40代
- 心理学の勉強をして A子 30代
- 就職を機に K那 30代
- 父も一人の人間 T美 30代
となります。
では、それぞれをみていきましょう!
1.家庭を崩壊させた父 H奈 30代
私が小学校中学年頃、父親が趣味で競馬を楽しみ始めました。
その後、私が大学1年の秋に家庭生活が一変。
きっかけは父親がリストラされたことです。
理由は世間の不景気の影響を受け、父親の勤務先の経営方針が変わったとのこと。
その当時は母親も働いており、私も通学しながらアルバイトをしていましたが、家計はかなり厳しくなり・・・。
しかも、父親の年齢が当時50歳近いこともあって、雇用先が見つかりくい状況でした。
なのに、いざ自分が解雇されたら実行せずに自宅でのんびり過ごしている。
私には幼い頃から散々「新聞配達しろ」と偉そうに言っていたのに・・・!
そして、趣味の競馬で借金を作り、返済に困ると何十回も家族に助けを求めてくる父親。
そんな父が、私は許せませんでした。
その金額は1000万を超えます。
対策方法は?
父親のギャンブル依存症と家族への借金が始まってから8年後。
私には兄妹がいなかったので、母の将来が心配になり、母にこう伝えました。
「私が家を出たら、夫婦で本当に生活していけるの?
一生こんなに大変な思いをしていくのか?
私はお母さんを助ける気持ちはあるけれど、父親を助けるつもりはない。
辛いでしょうけどお父さんとは離婚して別の道を歩んだほうがいいんじゃない?」と。
離婚届も準備し、母親へ渡しました。
約半年後に母親も決意してくれ、離婚。
私と母2人で家を出ました。
数年間は母親も精神的に参っていましたが、周囲の協力やその後の良い出会いもあって今は幸せに暮らしています。
私も、父親には生涯会うつもりはありませんでした。
しかし、結婚後に主人より「どんな親でも親は親なんから感謝すべきだし、大事にしろ。生きているうちに会っておけ。後悔しても遅いぞ」と諭されました。
気は進みませんでしたが、父親の連絡先を叔母から教えてもらい、かなりの勇気を振り絞って電話。
両親の離婚後10年ぶりに会う約束をしました。
父は一人暮らしをしており、年金ももらえていないような生活であることは想像できていました。
なので、できる範囲で数日分の保存できる食事を作り、当日はランチを一緒にしながら近況を話しました。
父は、私の急な連絡にとても驚いたようですが、帰り際に持たせた食事を帰宅後に開けてみて、さらに驚き、お礼の電話がありました。
父親と話せばきっと「またお金貸して」と言われるかもしれない、と気持ちが沈んでいました。
しかし、時間と距離を置いたことにより、父親嫌いをようやくやっと克服できたと感じています。
2.大人になって気づいたこと T子 40代
私の父親は、一言で言うと金遣いが荒い父親でした。
昔から、自営業だったので、働く事は働いていましたが、その働いたお金は、母親や子供達に使う訳ではなく、パチンコや競馬へ。
そして、家を建てては気に入らず、また新しく家を建てたり。
居酒屋をやりたい!と思ったら、いきなり相談もなく、店をやりだしたり・・・。
そんな勢い任せの父親でしたから、続く訳もなく、1年もせずに店をたたんだりと、稼いだお金以上にお金を使う父親でした。
なので、周りからは裕福な家庭に見られていましたが、本当に借金を作っては返済をするような借金地獄でした。
ただ、母親のしっかりした性格に助けられ、何とか自己破産等にはなりませんでした。
又お酒が大好きで、お酒を呑むと気が強くなり、暴言を吐くような人でした。
また、今まで父親から一度もプレゼントももらった事がなく、父親との関係は、父親というより、親戚のおじさんぐらいの距離でした。
そんな家族の事をないがしろにして、自分の趣味や、自分が興味がある事にしかお金を使わない父親が嫌いでした。
対策方法は?
そんな父親を心からは尊敬できなかったですし、憎しみしかありませんでした。
しかし、私が埼玉に嫁ぐ事になり、初めて私の事を大事に思っていてくれていた事を知りました。
主人の親に、『大事に育てた娘だから、本当は埼玉には行かせたくない。』と。
父親が初めて本音を言っていたと聞き、「不器用な父親で、家族に対してなかなか本音を言えなかった人だったのかな?」と、思えるようになりました。
今では私も二人の子供がおりますが、子供達を養っていく事の大変さ、育てる事の難しさを実感しております。
やはり、言葉や贈り物での「愛」も大事ですが、陰ながら見守っていてくれたことも、今になって分かるようになりました。
3.ベタベタされるのが嫌で M嘉 20代
中高生の頃、父の事が嫌いでした。
子供の頃の延長で私にベタベタしてくることがあったのですが、それが本当に嫌で嫌で・・・。
特にお酒を飲んで帰ってきた時は、そのベタベタもエスカレート。
飲んで帰ってきた時は、本当は起きていても寝たふりをよくしていました。
特に話したいこともなかったので、部屋に入ってきてずっと居られるのも嫌いでした。
異性だということもあって、特に何か酷いことをされたとかしたわけでもないのですが、何となく嫌い、
そんな状態が続いていました。
対策方法は?
私がどんなに嫌いな態度を示してもヘラヘラ笑っていた父。
ただ、一度だけものすごく怒ったことがあります。
あまりにも父を邪険に扱う私の態度に、我慢の限界だったのでしょう。
それまで父の事が嫌いで話すのも嫌だと感じていたのですが、普段見たことの無い父の怒る姿に、親であるのと同時に一人の人であると強く感じました。
父が笑っているのは、私の事が好きだからだと感じ、私の気持ちも変化したように思います。
そして、それと同時に、嫌なこと、止めて欲しいことは正直に父に話すことにしました。
はっきり拒絶するとお互い嫌な気持ちになるので、できるだけやわらかく言うように。
そうすることで、お構いなしに私に向いていた父の態度が少し変わったように思います。
そうした父の変化に、私の気持ちも自然と変わっていきました。
4.できるだけ接触しないように E子 20代
私が小さい頃から、母と頻繁にケンカをしていました。
父と母が仲良く話している場面を見たことがありません。
また、父は母が子育てで大変なときでも、夜飲んで遅く帰ったり、休日は家の手伝いもせずに遊んでいたり。
また、私が小学生になった時に、私が雑巾を持って掃除をしていると、急に足で頭をどついてきました。
本当に腹が立つとともに恐怖を感じ、それ以来、父が苦手という思いが決定的になりました。
対策方法は?
父は、平日は帰るのが遅かったため、あまり顔を会わさずに済みました。
父が帰ってくる時間には自分の部屋にいるようにして、できるだけ接触しないように気をつけていました。
また朝は、私は部活の朝練があったので、父が起きてくる前か、起きてすぐくらいに家を出るように。
休みの日も、できるだけ接触しないように、部活に行ったり友達と遊んだりしていました。
また、父は、「どこかに一緒に出かけよう」などとは言うタイプではなかったたので助かりました。
でも、家にいるとどうしても顔を合わせてしまうことはあります。
そんな時は、自分からは話しかけません。
何か話しかけられたら、感情を挟まずに聞かれたことだけに答える、ということに徹していました。
それで、だいぶこちらのストレスが減りました。
嫌なら嫌なりに、対処すればお互いストレスも溜まらないと思います。
5.興味がないのだと思っていたのに S絵 30代
私が父を嫌いだったのは、自分の子どもに関心が無い様子で、話しかけても、常に何も聞いてくれなかったからです。
記憶にある限り、小学生高学年頃には既に、父親が嫌いでした。
父が仕事から帰宅しても会話もなく、無言で食事を済ませ、新聞を読みお風呂に入る毎日。
気付けば、父と一緒に過ごすことが苦痛になっていました。
特に話したいと思うこともなく、聞いてくることも無く・・・。
「父は私には興味が無いんだ。」「放置されているんだ。」と思うようになりました。
そして、大学を卒業する頃、就職を決めると同時に一人暮らしを決めました。
親は反対しましたが、私にはもう実家にいる必要性も感じず。
自分で家も決め、家具や家電もアルバイトでお金を貯め購入し、家を出ました。
対策方法は?
社会に出て、仕事をする大変さとお金を稼ぐ大変さを経験したことで、父の有難みを感じました。
子どもの頃、父親は遅くに帰宅していました。
それだけ仕事が大変だったのだと思います。
それにも関わらず、体調を崩して仕事を休むことなく、仕事や人の愚痴など一切言わなかった父親。
それの凄さを自分が社会人になって分かりました。
また、仕事を始めてからは、父を誘って2人でランチをするように。
面と向かって話をすることが増え、父親の本音や考え方を知ることもできました。
私も結婚して出産して親になった時、親と言う大変さも痛感しています。
親が見せるべき背中や我が子に対する愛情を見て、「きっと自分も愛されていたんだ」と思えるようになりました。
何よりも、結婚を決めて「彼に会って欲しい」と父親に言った時「自分が信頼できる人なら良いよ。」と言ってくれました。
その時、父親が今まで何も口出ししてこなかったのは、私を信頼していてくれたのだと気付くことができました。
6.怒ると手がつけられなくなる父 N子 40代
うちの父親は普段は真面目な仕事人間。
ですが、いったん怒ると手がつけられなくなるほど暴れて、家族に暴力を振るっていました。
毎日ではなく、たまに機嫌の悪い時に何か気に入らない行動をするとすぐ暴れるんです。
いったん殴り出すと本人も止まらなくなるようで、母は私を父の手の届かないところに逃すしかなく、とりあえず私は家を飛び出していました。
今であれば、完全に通報されるレベルだと思います。
あと、異性関係に異常に厳しく、ちょっと男の子から電話があるだけで、狂ったように怒り出し、殴られました。
「18歳までは男女交際禁止」などとよく言っていました。
対策方法は?
一度殴られた時に、朝まで帰らなかったことがありました。
それで、父親が心配して探し回ったらしく、それから殴られることがなくなりました。
あと、父は早くからパソコンが好きで、私が進学のため実家を離れてからは、よくパソコンのメールでやり取りをしていました。
他の家族はパソコンが使えなかったので、共通の趣味があることで、段々と分かり合えるようになっていきました。
父は10年ほど前に亡くなったのですが、癌を宣告されてからは見違えるように優しくなり。
うちの子供たちを可愛がるおじいちゃんになりました。
子供たちにとってはおじいちゃんの良い思い出しかないため、昔のことは私も話しません。
子供たちには良い思い出にしておいてほしいですから。
7.心理学の勉強をして A子 30代
子ども時代に引っ越しがきっかけで、学校の教師にいじめられました。
父親に相談しても、自分の味方になってくれず、罵倒されて過ごし父親が嫌いになりました。
ショックで精神的に追い詰められて、体も悪くしたのですが、寝たきりになった私に「生きていてもつまらないだろう」と言ったことも。
そういった発言がよみがえって怒りでいっぱいになっていました。
父の顔を見ると、嫌な感情が溢れて苦しかったです。
対策方法は?
まず、心理学の本を片っ端から読みました。
効果があると書かれている方法はできる範囲で試しました。
書き出したり、瞑想のように自分自身に語り掛けたり、体が動くようになってからは、他のことに集中して考えないように。
最近読み返した加藤諦三氏の本の中に、「愛してくれない人にこだわるのは相手に依存している」「自分の幼児性を自覚する」という言葉が強く実感できました。
重点的に自分の甘えを意識するようにして来たら、腹が立つことが無くなってきました。
どうしてこんなに腹が立つのだろうと思い続けていましたが、相手に期待している・望む通りの愛を、反応を欲しがっているのだ、と。
そう、一つ一つ確認していく作業が大事だと思います。
ただ、中学時代には何も胸に響かなかったので、受け入れて実行する時期がきて、ようやく、本の知識が役に立つのだと実感しています。
8.就職を機に K那 30代
昔気質の頑固者なことに加えて、とにかく家族を自分の管理下に置きたい人でした。
そして、ワガママな性格の父に嫌気がさしていました。
私は長女だったのですが、妹は、姉である私の失敗を見て学んでいるので、父の地雷を踏むことが少なく。
そして、私の方が妹よりも交友関係や行動範囲も広かったことなどもあり、いちいち交友関係や行動に文句を言われ、父の私への風当たりは特に強いものでした。
勉強面や交友関係、生活態度など、あらゆる事に口を出され手を出され否定をされ・・・。
父の顔も見るのも嫌でしたし、とにかく家を出る事がずっと目標になっていました。
対策方法は?
実家に住んでいた時は、とにかく父から離れたい一心だったので、何度となく家出をしました。
その度に連れ戻されて叱られ・・・。
家出は、私達親子の関係改善には効果はなかったようでした。
しかし、現在は当たり障りない関係を築く事ができています。
その一番の理由は、父との物理的な距離が離れた事だと思います。
実家を出たのは、就職した際に、遠方への辞令が出たためです。
家族を管理下に置きたいとはいえ、新幹線の距離を越えて頻繁に干渉してくることは難しかったとみえます。
距離を置いてみると、自分の子供時代を恐怖で縛り付けられたことなどの恨みは消えませんが、「父は父なりの不器用なやり方で家族を大切にし、間違った形でも愛情表現をしていたんだ」と考えられるようになりました。
正直なところ、嫌いな気持ちは消えてはいませんが、感謝の念も湧いてきたので、たまには孫に合わせたり、父の日の贈り物をしたり。
ある程度の付き合いは、和やかにできるようになったので、距離を置く事により克服できたと言えるのではないでしょうか。
9.父も一人の人間 T美 30代
父は昔ながらの九州男児。
いつも自分の考えが正しいと考えていて、押しつけてくるところが子どもの頃から本当に嫌いでした。
父は、自分の考えだけが正しいと思っているので、当然、私の意見には耳を貸す気などありません。
何を言うにしても、常に上から目線の父が嫌でたまりませんでした。
間違ったことは言ってないにしても、やはり正論だけでは息苦しいです。
私や妹だけでなく、母に対しても同じような態度の父に、いつもイライラしていました。
当然、父に何かを相談することなどありませんでした。
対策方法は?
今は、あまり父にイライラすることはありません。
きっかけは母が大病を患った事です。
オロオロするばかりで全く役に立たなかった父。
私が医療職についていることもあり、あの時ばかりは父も私に頼りきりでした。
そんな頼りない父を初めて見て、「父も1人の人間だった」ことに気がつきました。
父だって年もとるし、不安に怯えもする1人の人間。
当たり前のことですが、それまでは厳格な父が嫌い過ぎて、そんなことにすら気がつけていなかったのです。
「父も一人の人間!」そう感じてからは、父のことが以前より苦手ではなくなりました。
それからは、少し客観的に父のことを考えることが出来るようになったんです。
何か言われても「この人はそういう風に生きてきたのだなぁ」と言うふうに穏やかに受け止められるようになりました。
一見冷たいようですが、感情的にならずに、向かい合うことができるようになったおかげで、以前よりずっとスムーズにコミニケーションが取れるように。
父の事を変えることはできませんが、父に対する私の態度を変えることはできます。
そうすると不思議なことに、父と私の2人の関係も変わってきたように思います。
まとめ
以上、父親が嫌い!克服方法と理由を9人の経験者に聞いてみた!の記事でした。
皆さんは当てはまることがありましたか?
私は似たような状況な方がいて、まさしく私もそうだった!とうんうんと頷いちゃいました。
でも、今思えば、大人げなかったなと思いますが(笑)
さて、今回の父親が嫌いな理由のまとめとしては、
- 家庭を省みない
- 借金がある・お金遣いが荒い
- 暴力をふるう
- 会話が続かない
- 頑固でわがまま
- 話を聞かない
- 自分が一番正しいと思っている
- すること為すこと否定してくる
- 口うるさく指示してくる
などの理由がありました。
まさしく「日本の不器用な父親」ですね。
その性格が、嫌われる理由になっていることに本人は気付いているんでしょうか。
家族には弱い所を見せたくなくて、素直になれないんでしょうね。
また、克服方法としては、
- 時間と距離を置く
- 接触しないようにする
- 嫌なこと、止めてほしいことは正直に言う
- 伝え方を気を付ける
- 思い切って家を出る
- 心理学を勉強する
という克服方法がありました。
また、「就職して父親の大変さが分かった」「出産して父親の気持ちが分かった」というような意見もあり、同じ立場になって初めて、父親の事を理解できたという方もいらっしゃいました。
確かに、父親の性格は簡単には変えられないけど、父親に対する態度を変えることは、自分が意識すればできますよね。
父親は不器用な人なんだと思えば可愛く見えてきませんか?(笑)
早速、父親との関係に悩んでいる友人にも伝えてみます。
父親との関係にお悩みの皆さん、克服方法を意識してみてくださいね。